法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。(妙一女御前御消息)
この御文に接して、苦難の境遇を乗り越えることのできた方がどれほどいたであろう。冬とは苦難の象徴であり、忍耐の象徴であり、そして希望への道しるべでもある。
冬の今、自然界を観れば、寒風の中を桜の木もクスノキもモミジもじっと息をひそめているようだ。池の鯉も一箇所に集まって動かない。元気そうなのは、時折下りてくる野バトやヒヨドリだけ。しかし皆が必ずやってくるであろう、春の陽光を待ちわびている。
日蓮大聖人は、法華経を信ずる人の境遇を冬になぞらえた。冬が、何れは万物に精気を与える春となるのは決まったことであり、反対に秋に向かうことなどあり得ないのが、天地の道理である。
法華経の肝要・南無妙法蓮華経の信心は、今の苦境を乗り越え、明日を切り開く力がある。不幸への後退などあり得ないゆえに、その確信を「冬は必ず春となる」の言葉に託された。
本宗中興の祖日寛上人は、「青松は年の寒に顕れ、孝子は家の貧に彰(あらわ)る」と仰せである。松の若葉は寒い時期に育まれ、孝養の子息も貧しい家から現れると。苦難を抱えた方は、その克服こそが人として成長する糧となり、人生の高みを目指して、一歩一歩昇っていく力になることを自覚しよう。そして、その自覚の裏付けとなるのが、日々御本尊へ向かおうとする信心である。