現代の他国侵逼難と自界叛逆難
住職 榎木境道

 今を去る七五四年前の文応元(一二六〇)年七月十六日、日蓮大聖人は幕府の要人・宿屋左衛門入道を通じて、政治の最高権力者であった最明寺入道北条時頼に『立正安国論』を奏呈して、国家諫暁をされました。
 『安国論』には、もしも日本国に、念仏等の誤った教えがこのままはびこったままであるならば、必ず他国侵逼難と自界叛逆難が起こることを予証しています。そして実際に他国侵逼難は文永十一年と弘安四年の二度あり、蒙古による大軍船が襲来してきました。また自界叛逆難は文永九年におきた二月騒動、すなわち北条氏一門において、執権時宗と異腹兄である時輔との間で戦争となり、時輔一派が粛清されるという大事件が起きました。
 「三世を知るを聖人という」(平成八六七㌻)と自ら仰せではありますが、当然ながらこれほどの大事件について、あらかじめ予言した人物を歴史上に訪ねても、他にはいません。日蓮大聖人の稀有なる御境界について、改めて感じ入るものであります。

 ところで、他国侵逼難と自界叛逆難が現実となったのは、果たして大聖人の時代だけだったと考えて良いのでしょうか。現代・未来には起こらないのでしょうか。
 さにあらず、現代も誤った教えが多い世の中であることは、大聖人の時代と変わりありません。三大秘法という正法に対する関心がまだまだ足りない世の中であること、それも我々の折伏精進がまだまだ至っていないと反省しなければなりません。と同時に、現代の世相を見るに、もちろん日本を中心にものごとを捉えていくことは必要ですが、一方でグローバル化した世の中ですから、世界的な視野に立ってものごとを見ていくことも大切です。
 そこにおいて、今年になってからでも、ウクライナ共和国をめぐる西欧とロシアのせめぎ合いがありました。南シナ海と東シナ海では、中国の拡張主義によって、ヴェトナムやフィリピン、そして尖閣をめぐっての日本との摩擦が頻繁に起こり、近い将来どのようになっていくのか、皆目分かりません。とりわけ日本では、今騒がれている集団的自衛権の是非は、国論を二分しているようです。果たして戦争の為に抑止力になるのかと言えば、むしろ巻き込まれてしまうケースの方が多くなるという見方が多いようです。思うに、今においてもしもアメリカという国が存在しないとしたら、日本は集団的自衛権を論議することもなく、専守防衛を堅持し続けるでしょう。米国があるばかりに、安倍総理の目も右横に向かざるを得ないのです。朝鮮半島の不安定化にしても、また中国の軍事的台頭にしても、これからの日本を取り巻く国際情勢、軍事情勢は予断を許さないものがあります。とりわけエネルギーをめぐる力の駆け引きで、摩擦は起きやすくなります。これを他国侵逼難の怖れと見て、誤りがあるでしょうか。
 次に、自界叛逆難については、単純に同士討ち、内紛がはじまると言うよりは、これまで安定してきたものが、徐々に崩壊していく現象と捉えれば、より現実的な意味が反映されるのではないかと思います。つまり我が国の、少子化現象や老人国化することによる税収制度・社会保証制度の不安定化、そして日本という文化の液状化が挙げられます。
 とりわけ日本文化については、これまで日本という国に根付いてきた生活習慣や道徳、宗教観念のことを指してそう言いたいのです。これらがあったことにより、国民は一定の安定・安心を得て生活してきました。
 例えば三世代が同じ屋根の下で過ごしてきた昔の日本には、それなりに家族・親族の助け合いが密接であったでしょう。道徳については、親や先生、年長者に対する報恩・敬愛精神、あるいは社会や職場への奉公精神が昔は強かったはずですが、そうしたものの希薄化が例として挙げられます。また宗教観念については、亡き親・先祖を回向する心を失いつつあるのはもとより、見えざるものに対して畏敬の念を懐く心も、現代人は次第に希薄になっているのではないでしょうか。このような現代人の醒めた目をもってみれば、世のあらゆる存在は今限りのもので、そこに因縁・因果の道理を当てはめ、自分が存在する意義を、深く考えてみようという気持ちすら起こってこないのではないでしょうか。

 このように、従来のあり方に比べて、現代起きている変化はすべて劣った方向に向かっているとは言い切れませんが、しかし大事な精神文化として、守るべきものをも徐々に失っている現実があるのは確かでしょう。それは、自界叛逆難と考えられないでしょうか。大聖人は、
  悪世末法の時、三毒強盛の悪人等集まりて(九〇五㌻)
と、末法の人は、三毒強盛の悪人であると仰せです。貪瞋癡を三毒といいますが、貪る心と、瞋る心、ものごとの道理が分からない愚癡の心のことです。三毒は人の善心を害する最も根本的な煩悩とされ、地獄・餓鬼・畜生の境界であると大聖人は説かれています。
 そのような我々末法の衆生が、平穏な世の中を築くことはまことに至難の業というべきです。それゆえにこそ『立正安国論』に籠められた、
  唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ(二五〇)
との御聖訓が輝きを増すのです。現代においても、より多くの方に大聖人の三大秘法を知っていただきたいと思います。

(平成26年7月1日 公開)