日蓮となのる事自解仏乗とも云ひつべし (寂日房御書)

 日蓮大聖人は、十余年にわたる諸国遊学の後、建長五年の春に故郷安房国に帰られ、かつて出家をされた清澄寺で、南無妙法蓮華経の宗旨を立てられた。この時、是生房蓮長の名乗りを日蓮と改められている。
 「日蓮」のお名乗りには、どういう意味が籠められているのだろう。それを説かれたのが上の御文である。「自解仏乗(じげぶつじょう)」とは、師匠から教わることなく、自ら仏の境界を悟ること。大聖人がこのように名乗られた理由について、続く箇所に法華経神力品の文を挙げられる。
 「日月の光明の能く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯(こ)の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と。
 この意味は末法という乱れた時代、日や月の光りが暗闇を照らすように、上行菩薩の再誕として出現された「この人」が、妙法蓮華経の教えを弘め世の人々を救うのだと。このように釈尊は法華経に預言をされた。
 末法に妙法蓮華経を弘めるお方は「斯(こ)の人」とあるように凡夫僧である。そして悩める人々に交わり、真の救いを説く必然がある。日蓮大聖人はそう考え、あらゆる苦難を乗り越えようと、宗旨建立の時に誓願された。そのお心を表した言葉が「自解仏乗」である。
 それ以後、大聖人の御生涯は、竜口法難をはじめ大難四箇度、小難数知れずと言われるように、妙法弘通のために、身命を惜しまなかった。この事を日蓮正宗では、末法御本仏の大慈悲と拝するのである。

護国寺住職 榎木境道