桜と山吹と白蓮華
住職 榎木境道

 花の季節がめぐってきました。自然界の営みに心から感謝をしたい昨今です。
 桜の美しさは素直に愛でたいものですが、しかし散り際の鮮やかさには、一層のおもむきが感じられます。散る花びらは、古代人がいた頃から、我々に様々な訴えをしてきたようです。無常観はもとよりですが、日蓮大聖人の御書にある、寒苦鳥(かんくちょう)の話を思い起こします。
 「雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて、夜明けなば栖(す)つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう。一切衆生も亦復是くの如し」(新池御書)
雪山とはヒマラヤのことです。夜は非常に冷たく、ここに住む寒苦鳥はブルブル震えながらも、「よし、夜が明けたら一生懸命暖かな栖(すみか)をつくろう」と固く決意するのです。ところが朝が来てポカポカした陽光がさしてくると、昨夜の寒苦もどこへやら、ウトウト居眠りをして、いつの間にかまた極寒の夜を迎えてしまいます。次の日も、またその次の日も同じことの繰り返しで、こうして一生の間、自分の栖さえつくれないのが寒苦鳥です。
 でも、本当は我々一切衆生の姿が、この寒苦鳥であることに気がつきなさいと、大聖人様は仰せられているのでしょう。冬が過ぎて春がめぐり、桜吹雪の哀れさを見て、我が身に充てはめれば、少しも油断のできない日々であることに気がつきます。

 花と言えば、山吹も可憐な花を咲かせています。
その昔、関東管領上杉氏の重臣に太田道灌なる武将がありました。五山無双の碩学といわれ、文武両道に秀でた人物でした。江戸城を築いて移る前は、我が護国寺の向かい英勝寺のある地に旧邸を構えていたということで、何となく近所合壁の親しみも感じます。
 道灌はある日狩りに出かけた際に時雨に遭い、民家で蓑を借りようとしました。ところが家から出て来たのは少女で、そこに生けられていた山吹の一枝を指さすのみ。道灌は「どうもわけが判らぬ」と、その家を辞したのですが、後に和歌を良くする人にたまたまこの話をすると、「それは古い和歌に詠まれた、山吹のことを指していたに違いない」と教えてくれました。

     七重八重 花は咲けども 山吹の
         みのひとつだに なきぞかなしき

 歌の作者は、「山吹は七重八重と、たくさんの花を咲かせるけれども、実を一つも結ばないとは、なんとも哀しいことではないか」と詠んだのです。しかし道灌に相い対した少女は、「実の」を「蓑(みの)」にかけて、「我が家には、蓑の一つも無き民家にて、あなた様のお役にはたてません」との意味を込めて、山吹を指さしたのでしょう。
 以来、道灌は教養の至らぬ我が身を恥じて、歌道をも学んだと伝えられています。

 以上は、中興の祖日寛上人『当体義抄文段』にも引用されている、熊沢蕃山が『集義和書』に書いた逸話です。
 山吹の中でも実が成らないのは、八重咲きの種類だけだそうですが、花と実(菓)との関係は、仏法では大切な因果を表す譬えに使われます。もっともこの場合、花が因で菓(このみ)が果となりますから、花が咲いても実が成らない山吹は、因果がはっきりせず、譬えとして相応しくはないでしょう。そうした点で勝れているのは、何と言っても蓮華の花となります。
 なぜ仏教で蓮華が譬えに使われるのかと言えば、花が咲くと同時に、花びらの中心には、すでに菓が成っているのです。これは妙法蓮華経に籠められた因果倶時(いんがぐじ)の意義を表すもので、これを「当体蓮華(とうたいれんげ)」といいます。また蓮華のもう一つの意義として、妙法という不可思議な法を顕わすのに、蓮華の姿を借りて、衆生が理解する手助けをするのであり、これを「譬喩蓮華(ひゆれんげ)」と言います。
 また白蓮華(びゃくれんげ)には、濁った泥水の中に清楚な花を咲かせるという、特性もあります。これは五濁悪世に住む我々衆生にも、それぞれ心に妙法という清らかな白蓮華を宿しているのです。ゆえに、法華経を信ずる者は御本尊に向かって朗々と題目を唱えることで、心中の白蓮華を大きく開き、末法濁悪の世の中にも、幸せな境界を開くことができるのです。このことを法華経には「不染世間法 如蓮華在水(ふぜんせけんほう にょれんげざいすい=世間法に染まらざること 蓮華の水に在るが如し)」と説いています。
 桜と山吹と白蓮華、それぞれの花は様々に教えを説いてくれています。それらをそのまま受け止められる、私たちの心でありたいと思います。

平成25年5月 公開